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◆韓国ハンセン病村合同ボランティア 

大韓民国
人口:4,485万人   首都:ソウル   
人種:韓民族  言語:韓国語 
宗教:仏教徒(27%)、キリスト教徒(24%)、
その他儒教徒
略史:3世紀末に氏族国家が成立。
三国時代(紀元前4世紀〜668年)、
新羅(668年 〜935年)、
高麗(918年〜1392年)、
朝鮮(1392年〜1910年)を経て日本統治となり、
朝鮮戦争後北緯38度南北朝鮮に分断。
1948年大韓民国成立。
 

(開通直後の水)
  96年〜00年に、韓国ハンセン病の村(常緑村)で、日韓の大学生が合同でボランティアを行っています。本協会のOBで国士舘大学の大学院に留学していた金承保さんが、自国でハンセン病のボランティア団体「常緑会」に所属しており、ぜひ韓国の学生と合同でボランティアを行おうということで、計画はスタートしました。ハンセン病や韓国史の勉強会を行い、96年8月1日、第一次韓国隊18名が韓国に出発し、ソウルで韓国人学生13名と合流して村に入りました。常緑村はソウルから北東85キロに位置し、小高い丘を切り開いた日本の農村を思わせる村でした。ここでの活動は、養豚に必要な上水道の配管工事で、村の東側を流れる川の脇にある井戸から、村の中心までの約300メートル、標高差50メートルの土地にパイプを埋設し各養豚場へ水を送る工事でした。現地は、冬季になるとマイナス温度となるため、凍結防止のため、深さを1.2メートル掘る必要がありました。
 韓国人男子学生は、徴兵で兵役をすませていたことや、キムチパワーか、体力も技術もすばらしくパワフルでしたが、日本人も負けまいと頑張っていました。
 真夏の日差しが容赦なく降り注ぎ、強烈な豚の汚物の臭いと蠅の中で、韓国人も日本人も、男も女も汗だくになって働きました。


(上水用パイプ管の埋設作業)

(完成直後の上水道)

(作業の様子)

ある日の夜、常緑村の初代村長に、講演をお願いし全員で拝聴しました。その内容を紹介します。
【初代村長 高氏 講演要旨】
  「私は、警察官であったが30歳でハンセン病(ライ病)に感染し、住んでいた所を追われ、妻と息子を連れて常緑村にたどり着いた。テント生活を始めた私に対して、近隣の人たちは感染をおそれ、投石したり棒で殴ったり、連日詰め寄り、ひどい時には100人以上の人たちに殴られ出ていけといわれこともあった。しかし、私には行くところがなかった。何度も死のうと思った。しかし私には妻と子供がいた。私は頑張った。
 数年経ち、私の噂を聞き、同じ境遇の仲間達が集まってきた。そして現常緑会のメンバー(当時大学生)達が、ボランティアで寝食を共にして私たちを助けてくれた。当時の大学生はエリートである。そんなかれらと一緒に作業をしている私を見て、近隣の人たちも徐々に私を受け入れてくれるようになった。私がここへ来て35年、本当に色々なことがあった。初めて学校に行った息子が、泣きながら帰ってきた時、私はマイクを持って学校に行き私たちのことを訴えたこともあった。
 現在、村人も80人に増え、常緑会の人たちの絶大な支援を受け、2万5千坪の土地を持ち、農業と養豚で自立した生活を営む事が出来るようになった。今は生活も安定し自分の事よりも人のことを考えられるようになり、今まで私たちを応援してくれた人たちに恩返しがしたいと思っている。私は見た通り、指が1本もないし65歳になった。しかし私はまだまだ若いと思っている、なぜなら自分にはまだまだいい仕事が出来ると思っているから・・・」
講演終了後、全員が驚きと感動に包まれました。学生一人一人と握手を交わす高氏の顔は、すばらしく輝いていました。我々はまたひとつ人間のすばらしさを知ることができました。
 しかしながら、日本と韓国にはご承知のように大きな隔たりがあることも事実です。8月8日作業最終日、共に働いてきた一人の老職人が、突然日本語で、「私は日本人は嫌いだけれど、お前達は好きだ」といったのです。これまで一言も日本語を話さなかった職人が語った言葉は、日韓の不幸な歴史の傷跡を垣間見たようでした。「近くて遠い国」韓国。日本に国を奪われ、36年間総督府の支配に苦しめられた韓国国民の日本に対する心情は、戦後50年以上たった今も許すことの出来ない、忘れてはならない事なのかもしれません。国民性や歴史観の違い、そして政治的・経済的に絡み合った国際間の問題はさておき、我々日本人が隣国の友人に対して、基本的な認識がなさすぎすぎるのではないかと考えさせられました。たとえば、8月15日は日本では終戦記念日ですが、韓国では日本から解放された独立記念日です。そして、安重根は伊藤博文を殺害した暗殺者として日本の教科書では解説されていますが、韓国では国家的英雄として多くの人々に尊敬されています。このことは、事の是非や、好む好まざるに関わらず、我々日本人と同じ時空間の中で生きた時代があったということです。しかし、この認識をどれだけの日本人が持っているのでしょうか。  
 私たちに何が出来たのか、またこれから何が出来るのかはわかりませんが、この活動を継続していこうと思っています。

 
〔所感〕 98年度 国立音楽大学卒 梅沢 理恵

 「ウメ」と呼んで笑顔で迎えてくれる韓国の学生、そして「アンニョンハセヨ」としか言えない私に抱きついて喜んでくれる村のおばさんに会った時から、私は既に感動で胸がいっぱいだった。
 1年ぶりの常緑村は何も変わっていなかった。というよりも1年前の私には常緑村のことは何も判っていなかったような気がする。例えば、日本の学生と一緒に歌いたいと言って日本語を覚えた村のおじさんのことや、朝5時前から私達の朝食の準備をしてくれていたおばさんのこと。そして私に「I Love 常緑村」と言った素直でかわいい村の子供のこと。そんな村の人たちのために少しでも役に立ちたい。そして、来年も再来年もずっと、私が味わったような感動を後輩達にも分かってもらいたい。そう思いながら毎日作業に取り組んだ。
 ある時、村の女の子が「私の夢はピアニストになること。ウメの夢は何?」と尋ねてきた。私は答えることが出来なかった。私の夢は何だろうか。何だったのだろうか。私は夢を見ることを諦めていた自分に直面し、ショックを受けた。
 夢のように楽しかった9日間を忘れずに、私は夢を探してみようと思う。

協力団体等
・在日韓国大使館・在韓日本大使館・常緑会・日韓文化交流基金
 なお、この活動に対しては、
97年から(財)日韓文化交流基金から資金援助をいただき、
また99年には韓国の日本大使館で小倉大使より労いの言葉を賜りました。


(韓国の新聞に掲載)

★第5次韓国隊集合写真★





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